日本の伝統的工芸品である名古屋黒紋付染は、
古くからその土地に生きる人々の、
生活とともにありました。
紋章の起こりは平安時代であったと言われます。
牛車や衣服に付けられていたものが、
武家の目印となり、江戸時代には広く庶民の間に普及しました。
現在でも、主に家の家紋を衣服に付け、
礼装用の衣装として利用されています。
名古屋黒紋付染の歴史は、慶長15年(1610年)、
当時の尾張藩士小坂井家が、藩内の旗、幟(のぼり)などの
製造にあたったことが始まりといわれています。
その後の需要の増加にともない、
職人達の手によって、名古屋独自の技法が生まれていきました。
天保年間(1830〜1843年)、黒紋付染師 文助によって、
「紋型紙板締め(もんかたがみいたじめ)技法」が生み出されます。
明治になって板が金網に改良されましたが、
その技法は「紋当金網付け(もんあてかなあみつけ)技法」として
現在まで受け継がれています。
尾張徳川家の膝下で城下町として成り立っていた名古屋。
時代とともに、京や江戸と肩を並べる工芸都市として発展していきました。
その中で、当時の武士や町人まで多くの人々の衣服の供給することで、
染織工芸の一部として発展したのが名古屋黒紋付染です。
他の伝統工芸と同じく、その土地の人々とともに、歴史を歩んできたのです。